現在の吉田酒造
6代目蔵元 吉田智彦の酒造りへの想いを脈々と受け継いでいる酒造り
郷酒「白龍」の6代目蔵元、吉田智彦が生まれ育った旧上志比村は、福井県のほぼ中央に位置する小さな村。
山と川に囲まれ、夏には中京関西方面からの鮎釣りさんで賑わう清流九頭竜川が流れる村で、5代目蔵元吉田忠智が継いだ時には、福井県内で一番小さな小さな酒蔵でした。
蔵元は、東京農大醸造学科から国税庁の醸造試験場で酒造りの修行を積みました。
5代目の時代には、桶売りが殆どで、わずかに地元の人に愛されていた1級酒と2級酒しかありませんでした。
同じ研究室で各蔵自慢の酒を持ち寄って飲み会をすると、他の蔵元の自慢の吟醸酒は、ドンドンなくなっていくのに、1級酒では、なかなか飲んでもらえないという大変悔しい思いをしました。
それで、6代目蔵元は、悔しい想いをバネに、日本各地の酒を飲み酒造りの修行を積みました。そして、福井に戻った時には、福井の米と水と人で旨い酒を造って多くの人に楽しく、地酒白龍を味わって頂きたい。喜んで頂きたいと、心に誓いました。
家業に戻り、「山田錦を使って吟醸酒を造って、お客様に美味しい!と喜んで頂きたい。」と思ったが、米は、前年度実績に基づく割当て制度だったので、吟醸酒を造るための米が手に入いらない、という現実が大きく目の前に憚りました。
さぁ、困った。
その様な折、精米をお願いしているパ-ルライス工場のベテラン精米杜氏・横井氏より、「吉田さんの所は、田圃があるんやで、自分で作ったらどうやの。」有難い一言でした。
だったら、自分で山田錦を作ろう!そして、その米で、米の旨みたっぷりの酒を造ろう!
それは、誰にも造れない酒。上志比村だからこそできる酒、上志比村でなければできない酒。瓶の中の酒は、上志比村をギュッと詰め込んだ酒。
それは、平成元年。ここに、今の永平寺テロワールの想いの源があります。
しかし酒造りの経験はあれども、米作りは素人の6代目。それまで、化学肥料でコシヒカリを作っていたこともあり、反当り3俵しか取れなかった初年度。
JA吉田郡、高志農業改良普及所の方々からのご指導のもと、完全熟成堆肥による土壌改良の結果、3年後には、ようやく酒米最高峰の山田錦を安定的にとれるようになりました。
そして、上志比村の米、水、土、そして人にこだわった酒。
米の旨みをジックリ味わって頂ける郷酒白龍が出来上がりました。つまり、永平寺テロワール、郷酒とは、米、水、土、人にこだわった自然の生かし方です。
自社栽培だけでは、米の量がおいつかなくなり、平成25年からは、白龍の想いに共感してくれる農家、蔵人さんとも契約栽培で山田錦、五百万石を栽培していてだいております。
永平寺テロワールで白龍を醸す。
醸す人
杜氏は、蔵元の次女、吉田真子。
営業、製品、田圃担当は、蔵元の長女夫婦、吉田大貴、祥子。
そして、蔵人は、永平寺町在住で、春から秋には、一緒に米作り、冬には酒造り。白龍は、お客様の笑顔のためにこれからも、米作り、酒造りをとことん追求していきます。